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2008年02月27日 (00:33)

思い返せば

 若かりしころは幻滅の嵐だった気がする。ひたすら他者に対して、世界に対して幻滅して、それを言語化しては表明することで、自我を形成しているようにさえ思えた。好意をもった人や尊敬する人にさえ、ほんの少しの曇りを発見しては勝手に落胆して幻滅して、それを言葉にして表現することで、世界は他者はもしかしたら変わるかも知れないと云う、独りよがりな想いを抱きながら生きていた。

 最近になって、なぜそうだったのかがやっとわかった。僕は性善説におかされていたのだ。極論ではあるがそれならば逆に性悪説をとりこめば幻滅は回避できる気がした。つまり最初から世界は、他者は最悪の状態だと措定してしまえば、楽になるかも知れないと云う希望的観測。

 そうだ絶望しながらでもスキップはできる。常に動いていないと不安。だけど僕にはこの今しかない。今にいつづけるしかない。今から逃げることはできない、という絶望から逃れる為のスキップ。幸福なんです、という無限地獄へ落下しないためのストッパー。

 予想外にこの心理作戦は功を奏して、僕の世界には「どうせ~だろう」という断定的推量が渦巻いた。希望は闇の中に落とさなければならない。予感は予感のままでいいから、何もはじまらない方がよい。永遠に未完成の今が好きだから。最悪の世界で、太陽さえも最悪の光を放ちながら、温暖化を助長し、僕のつけた蛍光灯の電気はプルトニウムとか原油とかを燃やして、やがてどこかの名も知らない鳥たちを殺すだろう。水を求める見えない人々のことを忘れて、手を洗う。それが涙のようにさえ見える。

 あらゆる思考が、帰納的かも演繹的かも判らぬままに、ひとつに収斂する。ふと視界左に置いてある、写真に写る君の姿を視て、もう死んでしまったような気がする。そしてまだ生きていることを思い出す。素晴らしい。それは君が生きていることがではなくて…「今の僕には、君がもう死んでしまったとしか思えないのにもかかわらず、まだ君が生きているというまぎれもない現実」が素晴らしいのである。

 エスカレートした世界。もう今のいまに自分が死のうとも、そのことに恐怖感を微塵も感じていない自分に気づいた。以前なら、そんなのは真に死の先駆的諒解ができないことの証であり、偽りであると自嘲したり、自殺者が積極的な意志からではなく、消極的な無意識からその行為に及ぶ警鐘を鳴らすことを思い出したりしたけれど、今はただその内的事実に安堵する余裕さえ生まれたようだ。

 どうせ~だろう、という絶望。そこを出発点にするか、終着点にするかで、まったく正反対に僕の世界が動き始める。

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