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2007年04月20日 (00:42)

光と影をくっつけている接着剤を発見

 光と影をくっつけている接着剤はなんだろう?と、ふと思った。なぜそんなありもしない、通常は考えることさえ想定外のことを思ってしまったのかをつまびらかにしたい。

 太陽から降りそそいだ光が、私を照らし、大地に影を落とす。私の影の周りには常に絡みつくように光る大地が、私のシルエットを囲繞する。このように光と影は常に隣り合わせだ。光が光である為に影を必要とし、影が影である為に光を必要としているようにさえ思えてくる。

 ではその光と影を結びつけ、繋いで、密接にくっつけているものはなんなのだろう。レトリックを使って、過去と現在までを結びつけ、繋いで、密接にくっつけているものはなんなのだろうとして、やにわに心象風景を眺めれば…過去を否定できないのは、その過去そのものによって継続している現在までを否定しそうで怖いから。逆に過去を肯定できないのは、その余りにも生々しく彩られた記憶で現在すら色褪せてしまうから。けれど過去を輝かせると同時に、現在を輝かせることなどできそうにない。

 どちらかが少なからず翳りては、一方で輝き、時間のなかで翳りゆく記憶が実存の奥行きを演出しているようだ。過去を影とすれば、現在は光としよう。過去を光とするなら、現在を影としよう。その過去と現在を繋いでいるものが、光と影をくっつけている接着剤だ。

 すなわちそれはアイデンティティである。光が光である為に、影が影である為に、アイデンティティが必要である。そして皮肉にも!アイデンティティというものは、光そのもの、あるいは影そのものにはまったくもって宿ってはいない。付け加えるならば己という存在そのものにさえそれは宿っていない(※ここでいう己とは過去や現在をバラバラの部品と思うことで囚われては未来という模型を作る為の接着剤の存在に気づいていない己のことである)。そこで同じ過去を想うとしよう。それはさっきまで影であったは筈なのに、いつの間にか光になっていることさえあるという内的事実に慄然とする。

 光のなかにさえ影が存在して、影のなかにさえ光が存在しているのだ。これはエンタングルメントした光と影を同時に意識することが困難であるという問題に起因しているようだ。だがしかし光と影が繋がっているという至極当然の事実に、接着剤の存在を措定するという推論の余地を与えては、その繋がりという事実を新たな意味で再獲得しては気づくことができたと云うことは、同様にして過去と現在が繋がっていたことに気づけたこと云うことでもあり、であるならば己と世界が、延いては全てのものはなんであってもそのようにして相関しているのではないかという予感、確信にも繋がる。そしてその全てをくっつけている接着剤は、時間のなかでバラバラになった自我をくっつけているアイデンティティかも知れないし、量子アロンアルファでさえあるのかも知れないのである。

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