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2007年05月31日 (22:16)

空っぽの私について

MUSICA創刊号「すべてを語った宇多田ヒカル」を読んだ。

鹿野氏との対談である。約4年半前の同氏との対談は以下。

http://www.toshiba-emi.co.jp/hikki/gallery/interview2002/p00.htm

「自我」についての言及が気になったので、以下、考察を交えて書いてみる。まるで子供の頃のように、自分というものがなんだかわからない感覚。極端にいうと自我が形成されていない状態が大人になっても継続している。

そこには「私」が入っていない「空っぽの私」がいるだけだ。けれど別段、そこに何かを満たそうだなんて考えなくてもいいじゃんという無気力に近いというよりは、ありのままを受け入れる方向が見える。空に、宇宙に、何かを満たそうだなんて考えないように。

私という自我に気づくことで、発見(or創造?)してしまった孤独。しかしその私さえも私から離れて行き、もう孤独を感じていた筈の私さえいなくなってしまった。まるで膨張していく宇宙のように、やがて空っぽになった心は、今度は逆に全てを吸収し繋がり始めようとする。

そこにいる私も、あそこにいる私も、遙か彼方にいるもうみえない私にさえも、遍在する私たちは、ついに空っぽの私と繋がり始めるのだ。「宇」宙に遍く存在する「多」くの私に「光」があたり、宇多田ヒカルというシステムが動き出す時、この世界に独立して遍在する私たちはその重力によって、力動し始める。そして驚くべきことにそこにはもう私の自我が宿っていないのである。



エドウィン・アーノルドという詩人の言葉を思いだした。

「何ものも求めない者は、すべてを得、自我を捨てると、宇宙が自我となる」

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