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2013年05月22日 (00:01)

人生はメリーゴーランド

ふと、人生はメリーゴーランドのようですね。という結論にいたるのです。それはありふれた言い回しのようにも思えますから検索すればどこかの誰かが言葉にしているようにも思えるのです。が、しかしとりとめもないこの思考回路を、一時的にテンポラリーしというトートロジーを利用しつつもその場にとどめさせようとするのはやはり本能なのでしょう。ですからもう決して止まらないようにするなどというのは正気の沙汰とは思えないのです。脳が経年劣化をし、方向が多岐にわたり、指向性が保てなくなってきたようです。あるひとつの議題について自律系を保ちつつ考察しながらも、あらゆる世界を内包しようと必死になっているのは何故なのか、その理由さえもすでにどこかの誰かによって定義されているのでしょう。自我の枝として、心象風景を写実すれば、表現としては感動的かも知れませんが、今の時点で感じている感覚としては、伝えるにあたいしないこの猥雑な生暖かさでしかありません。太陽がサングラスをかけて私をにらむのなら、私はあるいはこの言語内に於いて核融合反応を起こしうる蓋然性を有しているのかも知れません。嗚呼、このあらゆる乖離!解離!にも関わらず疎ましくエンタングルメントされる不条理な意味と思わせぶりな意味。その可能性の世界が重なり重なり重なり。やがてその中のいずれかを選択する意思が私にあるというのでしょうか。それはいつ選択されるのでしょうか。今でしょう。人生はメリーゴーランドのようですね。私という存在は一体全体その中のどこにあるのでしょう。メリーゴーランドそのものなのか、はたまたメリーゴーランドの馬なのか。またはそれらを回す目に見えない電気的な何かなのか。はたまたそこに乗っている誰か、なのか。それをただ傍観している視点でしかないのかも知れません。あるいはその不思議の環の全て!なるほど確かに救いがたい。この脳内の飛散具合は全てに於いて絶望的な状況下で、為す術もないように思われます。脳内の恣意的な吐露によって、重ね重ねはき出された言語的な累積に於いて散逸構造が見いだせないままオーバーフローする予定調和として失敗するのでしょう。説明しようとすればするほどに言葉になり。存在しようとすればするほどに詩になるとするなら、真実を写しとることは、その光景を説明することなのか、はたまた永遠にその場にいつづけたいという願いであるのか、判断はできません。ただその瞬間、確かに存在したという証。言葉では決して触れることのできない二次元的な風景の中で、心と詩は共に佇み続けるのでしょう。だとするなら人生は一枚の写真に過ぎないのでしょう。その一枚は多面体テレパシーによって、多角的に定義され、あらゆる方向からの言葉を反射しながら、吸収し、また反芻をしながら、きわめて歪に肥大化してゆくのです。どんなに大きな塊になっても、それは決して正確に表現することができません。私がそれをいかに想ったか、希ったかすらもう幻想のように朧気で、不確かで、もう心の中には何もないようですらあります。だとするならば私にできることはただひとつ。それを愛と定義することなのです。

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