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2008年11月19日 (21:53)

それから読了

夏目漱石『それから』を読了した。私が漱石を読んだのは、中学生の頃の読書感想文で『吾輩は猫である』の長さに挫折して、『坊ちゃん』をなんとか読み、四五年前に草枕や夢十夜を読んだ程度であった。お札にもなるのだから、さぞや立派な人物なのだろうというイメージしかなかった。草枕の有名な冒頭に「智に働けば角が立つ、情に棹させば流される、意地を通せば窮屈だ」とあるが、彼はこの全てを克服した人間なのだと私は勝手に判断していたのである。どうやら違ったようだ。彼が言いたかったのは、あれはそんな立派な人間になるための標語ではなく、このどれかにあてはまってしまうのが、本来の人間であると言いたかったのではないだろうか。

それから、の主人公である、代助は三十過ぎても定職にも就かず、結婚もせず、今でいうひきこもりのニートである。社会に出るるのが必ずしも偉いわけではない、自分は自分の内で考え抜いてこそ、高尚な人間を目指せるのだと信じている。食うためにやることには真剣にはなれない、どこかで妥協が折衝と名を変えて介入してくる。であるから報酬のない趣味にこそ、真に自らを発展せしめる道であると信じる。しかし食わなければ、餓死する、精神は脆弱になる、貧すれば鈍するというわけだ。その矛盾に悩む。漱石は一世紀近くも前に、まるでこの希望のない暗黒の現代を生きていたかのような葛藤に悩んでいたのだ。

一方草枕は絵画のような小説であった。何も物語ることをしないような気さえした。けれどそのひとつの絵を見てさえ、人は色々と智に働き、情に棹さし、意地を通してみようとする。途端、その絵はそうとしか目に映らなくなる。しかしそれがまた人間だ。色々な意味を付加してゆく、こうした文章もまたそのひとつであろう。「誠は天の道なり」という書のあとに、代助は「人の道にあらず」と付け加えたいと思っていた。人は天の道を歩まなくても、人の道を歩めばよい。天の道とは、社会がつくりだした既成の概念で凝り固まった道のことだろう。代助は人の道を歩む。他人の道という意味ではない、自分自身だけは欺かない道を歩むと決める。それは誰に説明しても認めてもらえない道かも知れない。理解を求めることは不可能かも知れない。角が立ち、流され、窮屈であるかも知れない。しかしその信じる道のためにこそ、人は生きることができる。

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