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2008年11月09日 (00:05)

私は私だ以外の私

バスの中でふと思う。私という自我は、遠近法の小さな点の上にあるようなものだと。「私は私だ」と思うことで得られる、私という実感はそれほど大切なものだろうか。私は私だという幻想にも似た明確な意識は常に持っているわけではなくて、茫然自失とした無意識的な生活の方が大部分を占めているような気もする。

私という生命が死ぬ、とは、私が私であるという実感と、私が私であると認識乃至は意識さえしていない部分の私、そういう部分の存在を含めて、全体が死ぬということだろう、と推測されるが、「私は私だ」的な自我の消滅は、漠然とではあるが恐れるのにもかかわらず、無意識的な部分の私が消滅することに、私はそれほど恐怖を感じることがない。

これは由々しき問題のような気がした。私は私だ以外の私は、バスの窓から見える、走り行く車にも似ている。隣を走り、どこか別の路へと消えて行く車たち、私は私だ以外の私もまた、そのようにして私の中心から消えて行くような気がしたのだ。それがなくなってしまっては、そういうコーティングというか入れもの的な、風景の図と地の関係のような、私、それがなくなったら、私は私だと思っている私は、点だけになってしまう。

それはもはや見えない。ではその見えない、ないようなものと同じような私が消えて死ぬことに、なにゆえに恐怖を感じなくてはならないのか。否、私はもはや私が死ぬことは怖くはなかった。それは苦痛を恐れないという意味合いとは、異なる気がしたけれど、私は私だ的な私は、寧ろいま私は私だ的な以外の私にさえなりたいと想ったのだ。風景に溶けこみたい。どこかへ行ってしまうあの車と同じようになりたい。ヘッドライトの光が記憶の中で、私に混ざっている。あのときの車に、私はいま乗っているだろうか。

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