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2008年11月06日 (16:39)

世界によってみられた夢を定義するコラージュ

最近、内藤礼という人の紡ぐ言葉がなんとなく好きかもしれないと思い始めている。

過日、新日曜美術館の現代アートの紹介(そとのきは日本家屋の囲炉裏かなにかの上に、ひょろひょろと長い糸が垂れ下がり、それが人工的な熱源である囲炉裏からの対流と、自然の外からの風にゆらゆらと揺れるのをただ眺めるという作品であった)の時に名を知り、その数日後、茂木健一郎著『生きて死ぬ私』の後書きを読んで興味を持った。

生憎、同書は現在、妹に貸しており、一部を引用することはできない。内藤礼本人の著書もあるらしく、現在は絶版ではあるが、ちくま文庫からでていた『世界によってみられた夢』をオークションにてプレミア価格ではあるがなんとか落札。オールカラーのようで届くのが楽しみである。本業は彫刻家らしいが、文章にも独特の気韻を感じた。

本日は、谷川俊太郎の『定義』が届いた。とても自分が生まれる前に出版されたとは思えない、状態の良さに感動しつつもパラパラと拾い読む。この定義は詩選集にも何点か抜粋されていたが、それだけでは満足できず、すべてを読みたくなってしまったのだった。ネットで調べた情報によると、なんでもこの書の文章はすべて百科事典の引用からだけで構成されており、谷川氏本人の言葉は一言もないというから驚きだ。それでも谷川氏らしさがうかがえるのは、その世界(この場合は百科事典の文章)の切り取り方からくるのだろうことは間違いない。

いやはやコーネルにしてもそうだが、コラージュというものの可能性は素晴らしい。単なる前衛的な表現にとどまらず、そして絵や物だけでなく、文章までコラージュできてしまうとは。しかしその手段をあやまってしまえば、単なるパクリやコピーになってしまう危険性も孕んでいる。けれど世界そのものすらコラージュできてしまい、それによって私という存在のオリジナリティが発露するという可能性の中に、ときには溺れるように自由に漂ってみたいものである。何でもかんでも情報が飛び交っている、このインターネットでそれをするのは難しそうだが、感覚を研ぎ澄まし、自分なりの世界を切り取って行きたい。そう意識するだけで、なんだか思考が浄化されたような新鮮な昂奮を覚える。

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