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2008年10月22日 (02:23)

認識されない意識との隔たり

あげつらう。他者の言葉。本来、情熱であった筈の没落した自己主張。上か下かで判断する。下にいることが負けている気がする。負けているという感覚。いやむしろ「下にいる」とか「上にいる」とかいう感覚自体が、すでに既存の世界を構成している論理的な基盤に侵されている。上へ上へ行こうとする。頂上を目指して。ただ最高のひとつの高見には決して達することができない絶望。

そして全てを囲い、細分化する。小さなものに、原子たち、素粒子たち。その小さな或ひとつで全てを支配しようとする。名づけること。そこに意識さえも宿らせようとすること。クオリア。「私」ある最少の単位。意識できない鼓動に生かされている事実を忘れて、意識できない足は勝手気ままに歩き出す。

赤い花を見る。赤という記憶、赤という思い出。その差異。赤が赤と認識される前に、あった感覚を捨てる。私が生まれてきたこと。生まれる前の感覚を捨てること。それは他人の痛み。何も感じない。思い出と記憶の彼方へ.zip。展開される美しさという結果.txt

われわれ、ぼくら、わたしたちという共同幻想。三次元空間に遍在する「私」たち。上か下かも関係なく、同じ、違い。飛躍する量子テレポーテーション。いくつもの壁を通り抜けて、私→私たち→全ての世界。生まれるエピゴーネンたち。その間にあったものを捨てる。捨てないで、引き戻す。関係性。そこから新しい論理が、まるで生まれない絶望と、何かが生まれそうな予感という希望。机の上の赤いリンゴが転がる、痛み、涙、どこからみても、あなたもわたしも、曖昧に、いられないもどかしさを、眺める以前の意識はもうここにはない。


アート&テクノロジーの過去と未来 ATAK@ICC
高橋悠治+茂木健一郎:公開トーク『他者の痛みを感じられるか』

を観た後、今日届いた

Cornelius Sensuous/Sensurround

を聴きながら。

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