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2008年10月06日 (14:30)

喪失の演出

インドア派なので旅には行かない質なのだが、時々、旅に出たくなることがある。この場合、旅行ではなく「旅」なのが重要だ。基本的に天の邪鬼なので、旅先でここがどこそこであると地理的に明確になってしまうと途端に冷めてしまいそうだからだ。なので行くとしたらそこが何処なのだかも判らない旅がよい。拉致では洒落にならないが、どこかのバスツアーだかでミステリーツアーというのがあった。何処に行くかを知らされずに行く旅行らしい。ただできれば独りがよい。

と、なぜそんなことを書いていたかというと、何処だか誰だかわからない、というシチュエーションを意図的に演出するのが好きだからだ。小説で云うなら筒井康隆「虚人たち」や宮部みゆき「レベル7」のような雰囲気である。場所という情報を脳内で意図的に解体してしまえば、部屋の中でさえ旅をすることができる気がする。さらには自分の自我さえも意図的に解体してしまえば、一体全体自分が誰だかも、ここが何処だかもわからないという状態を、安全に(←精神的には不安だが…少なくとも生命の危機的には)再現することができる。

部屋の解体は、劇的ビフォアアフター的にするわけにも行かないので、あくまでイメージの中で行う。ここが何処なのかわからないフリをするだけでも効果はそれなりにあるだろう。一方、自我の一時的な壊し方は、先日、書いたゲシュタルト崩壊を応用すればよいだろう。自分の中で無限に鏡に反射しているような、自分の反復する無数の分身をイメージすると、なんだか自分の自我が希薄になり、少しだけ自分というものが隣にいる他人のような感覚に襲われる。この感覚は幼少期に自我を獲得するのが第一段階だとするなら、第二段階に匹敵するほど重要なものではないかと感じることさえあるほど、鮮烈だ。

自分が誰なのか、ここが何処なのかもわからない状態は、不安であると同時に、非常に自由で心地好いものである。まるで木もれ日に当たりながら宇宙空間を漂っているような。そして現実に戻った時にもう一度、気がつく…。一生懸命に記憶喪失と自我喪失を演出していたが、しかし実のところ、まだぼくにはぼくがわかっていないし、この広い宇宙の中で、この部屋が一体どこにあるのかさえわかっていないということに。多分、これが第三段階であろう。喪失とはモノリス級に自我の成長を促進する起爆剤であるようだ。

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