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2007年09月18日 (10:14)

パラレルワールドの夢

部屋の窓の外の風景が変わる。どこかの都会の雑踏の風景。
私はそばに好きな店があるから喜ぶ。
窓の外の風景を元に戻す。
戻し方は…、
部屋の隅のコンセントから
何度もその窓の外の世界を変える為に行き来する。

父も気に入っているようだった。
或る日、帰ろうとすると、
コンセントにブザーが取り付けられていた。
父が気に入って帰りたくないのかな。

その部屋に思いだしたように居た、
妹にそのことを言って、一緒に帰ろうとした。
でも勝手に留め具を外すと、父にばれそう。
そこに父が帰ってきた。
「これは他の人が勝手に使えないようにする為だった」
と言う。俄には信じられないが、確かに
その世界を行き来するには、
命がけだから、と納得した。
周りにいつの間にかいるどこかの少年たちが
「命がけだってさ」と囁き合う。

それはもうひとつの世界だった。
都会の雑踏の風景。
私はもうひとつの世界にいたのだ。
そして今、私は「この世界」に戻ろうとしている。
すると部屋の奥にいた母の顔が曇りだした。
なぜだろう?
永遠に近いような一呼吸の間が問いただす。
妹はもういないのだという。
元の世界ではもう死んでいる。
なぜそんな大事なことを忘れていたのだろう。
もうひとつの世界にいると、
もうひとつの世界の記憶が捏造される。

私は妹のいない元の世界に戻らなければならない。
そこで目が醒めた。涙が溢れていた。
こんな凝ったパラレルワールドの夢を見るのは初めて。
続きを考えた……。
もしかしたらもうひとつの世界では、
もうひとつの私は死んでいたのかも知れない。
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2007年09月11日 (12:44)

五行詩

世界が私に気づく時 雨は降るだろうか

別に降らなくてもいいけど 涙されても困るから

変わる必要なんかないよ そのままでいい

もう気づかれたことにさえ 気づかないから

変わる必要なんかないよ そのままがいい

2007年09月10日 (00:12)

ボロボロ

キーボードを掃除したけど、
まだギシギシする。
安物だからもう寿命かな?
ヘッドホンもイヤーキャップが
破れたから脱脂綿をつめて応急処置。
椅子も肘掛けが壊れたので取り外した。
扇風機は羽根が割れて時折、異音がする。
机はもう28年も使っていて傷だらけ。
書棚やエレクターなどの家具はおさがりだ。
プレステ2は初期スロットで、
テレビは凸面ブラウン管で、
未だにVHSで録画している。

新しい良いものに買い換えたいが、
いつでも買い換えられるけど、
なんだかこの不便さが心地良い気もする。
新しい椅子を買ったら傷つけないか
不安になりそうだし、
新しいキーボードを買ったら、
ホコリが被らないか
不安になりそうだけれど、
ボロボロなモノたちにはその心配がない。
気のおけない安心がある。
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2007年09月09日 (11:33)

夢の話

夢日記を久々につけはじめた。
最近、夢の本を読んでいる。
その中で……

可視的な世界よりも鮮やかに
想像することができない人は、
新しいものを創造することはできない。

というような、偉い人の言葉が引用されていた。

夢はときとして現実の鮮やかさを上回る。
これは寝ている時に見る夢も、
現実に於いて見る夢や希望とも
変わらないのではないかと思えてきた。

どちらも儚くそれでいて現実よりも鮮やかに
私を次なる新しい世界へ導こうとしている
ようにも思えてくるから。

ただ夢はこちらが望んでも探しても
扉が開くようには簡単に開かない
この世界も同じように、
どんなに私がその素晴らしさに気づこうと
そんなことは気にもしない太陽が
空が木々がただひかりゆらめいている。

そんな世界を眼前にして私は枯れて行くしかないのか?
否。
もしそんな世界から望まれて探されたなら
私は喜んで鮮やかに咲く花にでもなろう。

2007年09月09日 (10:59)

五行詩

この世界は なにひとつ変えられないよ

私 と 世界 は 乖離しているから

なのに 空は青く 木々は緑に光り

世界の素晴らしさに気づいてしまう

世界が私に気づく時 雨は降るだろうか

2007年09月09日 (09:36)

扉の夢

扉を開くと、見たこともないような素晴らしい光景が広がる。もう一度開くとまた別の光景がランダムに広がる。好きな光景が現れたら「保存」しなくてはならない。保存をすればまたいつでもその光景を開くことができる。扉はいたるところにある。とある廊下の扉を開くと、見たこともないほどの鮮やかな青。海が空が鳥たちが天国のような景色を形成している。扉のこちら側の廊下にある長椅子に座っている、人生をあきらめているような壮年の男に、私は思わず声をかける。「素晴らしい光景があるから見てごらん!」その男は自分はもうそんなものを見ても心動かないからいいと断るが、私は無理矢理、肩を掴んで扉の方へ連れてきて、男と一緒にその光景を眺め、男の心を元気づける為に歌を唄う。男は嬉しそうに朗らかな表情になる。私は「保存」と言う。

2007年09月09日 (01:02)

天才的な倒錯感

朝方、夢の中で自分が天才なのでは思えるような、発見をして目を醒ます。今では「なにかでなにかをする」というように漠然としか思い出せないが、まったく関係のない「なにか」と「なにか」を相互作用させることで、ある事柄をエレガントに説明乃至は証明できるといったような夢だった。

覚醒直後は、どうせ夢の中にありがちな天才錯覚に違いないと自嘲しつつも、いまなら整合性を保ったまま、その発見を言語化できるような気がするが、なぜだかずっと覚えておけるという意味もない自信と睡魔に負けて二度寝してしまったのだった。

当然ながら覚えていない、そのなにかとなにかは、大根だったかフライパンだったかすらわからないのである。それを説明する事柄そのものなどまったく以て覚えていない。今は只々この感覚の過程を言葉にするのが精一杯である。

2007年09月03日 (11:33)

やがて死ぬ けしきは見えず 蝉の声


松尾芭蕉の好きな俳句のひとつだ。
私はこの句を次のように勝手に解釈している。

蝉と同じように私自身もやがて死ぬ
私が死んだ後の景色は見ることができない
ただこの蝉の声だけは
私の死後も毎年毎年鳴き続けるのだろう
ということが想像できる
その決して聴くことのできない
未来の夏の蝉の聲を想うと
なぜだか懐かしくもある

現世にて蝉の声を思い出すのが
春の終わり頃の、暮春の時期。
私の好きな季節である。
ちなみに蝉の声は蜩が好きだ。

蝉の声を想うと……
遠い過去から未来までの全ての世界に
けたたましく響き渡っているようでいて
その鳴き声はまるで囁きのように静かでもある。
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