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2007年06月29日 (14:14)

ふつうに

「ふつう」について。「ふつうにおいしい」で混乱するのは「ふつうの味」なのか「おいしい味」なのかで考えてしまうからでしょう。「超おいしい」などという過剰な表現の反動として、曖昧な一般的な没個性的な「ふつう」が使われるようになってきたのかも知れません。相手の自信なさげなともすれば過度な卑屈さを「ふつう」を冠することで標準的な状態まで持ち上げることができる、一種の誉め言葉にもなるわけです。普通、広く一般に通じる、個性的ではないが、特に非を打つこともないあたりさわりのないオブラードに包むための言葉として使われつつも、逆に皮肉を含めているのではないかという蓋然性を残すことで、あからさまに褒めることでの羞恥心すらから脱することができる便利な言葉なのでしょう。
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2007年06月20日 (21:46)

必要最低限のモノ

必要最低限のモノといっても定義は色々ある気がしました。

生きて行くために必要最低限のモノ
普通に生活するために必要最低限のモノ
豊かな生活をするために必要最低限のモノ
流行遅れにならないために必要最低限のモノ
嗤われないために必要最低限のモノ
自分らしくあるために必要最低限のモノ
自分がのたれ死なないために必要最低限のモノ
世界の誰かが泣かないために必要最低限のモノ
人類が滅亡しないために必要最低限のモノ


……と前に置くフレーズによってその内容はあまりに変わってしまいます。だから必要最低限という線引きをすることにあまり意味はない気もしてきました。この前に冠するフレーズの違いによって、意見がてんでばらばらになる危険もある。もっとも意見などというものは本来的にばらばらであってなんぼというものなのかも知れません。大事なのは不必要なモノの見極めなのではないでしょうか。

その結果、無駄なモノを無くしてゆくという道へ入るわけですが、無駄とは本当にいけないものでしょうか?無駄なモノだと云って捨ててしまっても結果自分の部屋は綺麗になりますがゴミとして環境を破壊していることには変わりありません。ただ無駄なモノを増やさない努力や有効に再利用することはここを拝見して大切なことだと改めて感じました。

その一方で必要か不要かという善悪的な二元論に収斂している畏れも感じ、無駄を省くことでユトリがなくなってしまうような気もして、無駄のプラス面はないのかと考えますと無駄というアソビがあるからこそ、逆に無駄ではないモノに価値を見出せるという側面もあるようにも思えます。また完璧には必要なモノがない、不完全な状態や未完成な状態にこれから完成される希望の光を見出しては美しいと思うこともできます。

抽象的になってしまい申し訳ありませんが、極論だけではなく、そういう善い意味で日本的な(?)曖昧なバランス感覚も大切というかあってもいいかなぁと思ったので書かせて頂きました。

2007年06月18日 (13:49)

キリヤ氏

がBBSを開設したので見てます。ちょうど色々と物を捨てていた自分にはタイムリーな話題だったので……。

テーマは…
「必要最低限のモノだけで生きていくことはできないか?」

http://www2.rocketbbs.com/11/bbs.cgi?id=kiriya

いろいろ捨てて不要なモノがなくなることで本当に必要なモノだけが見えてくると考えてたけど必要ではないモノを捨てる、つまり取捨選択すること自体がエコではなくエゴなのかなと思えてきたよ。だってそれってゴミを増やしてるだけだもんね。不要だと思ったモノでも有効に再利用したほうがいいよね。その前に不要なモノを増やさない努力をしないといけないけど。エコも過剰になるとエゴになり得る危険性を孕んでいるから矢張りバランスが必要だ。

文章とか創作活動そのものも本来は生きることには必要ではなかったりもするわけだけど、そこに苦悩を生んではいけないバランス感覚も必要で、文章の中で不要な言葉を捨てて行く作業もまたあるわけで、そういう階層的なリアリティの中でのバランス感覚を自然と持ち合わせていれば別段それを取り立てて主張するような意見を述べ合うことも必要なくて極論のぶつけ合いも回避できるからそもそもこうして考えること自体が必要ではないとか云って思考停止したり、人間そのものがなくてもいいなどというどうしようもないところに着地することもないわけです。

2007年06月15日 (12:47)

イメージトレーニング

スポーツ選手のイメージトレーニングで、鍛えている部分を意識しながらトレーニングしたり、小便をするときに自分の中の悪いものが全部でていくとイメージしたり、他の選手のフライングでいやな気持ちになってもパッと振り返るだけでリセットできたり、と色々あるようだが、一番美しいと感じたのが夜走っている時に夜空の月をみて、その月が自分に神秘的なエネルギーをそそぎ続けてくれているというイメージトレーニング。私はそれを応用して夜の空気を吸う時、匂いに色を感じるように真っ黒の空気がまるで極彩色のようなものだとイメージして吸い込む。自分の躰に暗くて鮮やかな夜空の月の光と空気が満ちる。

2007年06月15日 (10:51)

太陽と共に

三週間ほど続けているジョギング。昨日一昨日とサボってしまったので走った。朝十時とは思えないような位置に太陽がある。本当に数時間前には夜だったのかと疑うほど真上。そうか地球はすごいスピードで動いているんだ!太陽の移動と共に私は世界中を旅しているようなものなのかも知れない。そうイメージしたらさっきネットで見ていたグーグルアースのグリーンランド辺りに心はワープして、私はそこを走っている名も知らないひとりの青年になっていた。
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2007年06月14日 (20:06)

共感スイッチOFF

共感する能力は男性よりも女性の方が発達しているらしい。男性は社会のなかで意図的にそういう部分のスイッチを切らなくては社会そのものが情に流されて成立しなくなる蓋然性があったから、また女性は子育てをするときに子供の気持ちに共感することが必要だったからと過日、某脳科学者がテレビで言っていた。うる憶えだがアンドロイドは電気羊の夢を見るかという小説で、共感ボックスというものがあった。宇宙の最果てにいるひとりの少年だかの悲しみが、遙か彼方の地球の全人類に送信されてしまうという話だった。伝えること、繋がること、共感することは必ずしも善いことだけではないのだろう。

そういわれてみれば他者との関係の中でも意図的にか無意識的にかそういう部分のスイッチは切って、一定の距離をおいている。家族とさえそうかも知れないからこの世界とからさえそういうスイッチは切っておかないと非道い話だがいちいち地球のどこかで苦しんでいる人ひとりひとりに共感して泣いてばかりもいられないのだ。自分自身とさえそういう共感スイッチは切っているような気がすることもある。だから孤独とかを感じることもない。少なくとも共感スイッチを切っている間は…。

だが不覚にもこのスイッチが入ってしまうことがある。そんなときは必要以上に感受性とやらが過剰になるようで、ふとこのような場に文章を書いている時にスイッチが入ったものなら、己の言葉などでは何も変えられないのではないかと絶望する一方でむしろ誰かを知らず知らずのうちに傷つけてしまっているのではないだろうかと思い、そんな誰かが哀しんでいる姿を想像して思わず落涙しそうになる。………ごめんね…(笑)

2007年06月14日 (18:24)

可能性と蓋然性の差異

可能性と蓋然性。このふたつを区別する時、可能性よりも高い可能性の場合に蓋然性を使うくらいにしか考えていなかった。つまり可能性と必然性の間辺りに蓋然性を位置づけていた。これだとなかなか蓋然性という言葉そのものを使うことがなくなる。そこで色々ネットで調べてみる。

英語では可能性「possibility」といい蓋然性「probavility」となり夏目漱石は教壇でこの区別を示すのに「私はこの教壇で逆立ちをする可能性はあるが、蓋然性はない」と教え子に言ったそうだ。なるほど、理論的な想定からみた場合を可能性、現実的な確率からみた場合を蓋然性という。

辞書には可能性は「もしかしたら~」、蓋然性は「多分~」などという説明も見られるから、もっと簡単なものに上文を置き換えるなら「私はもしかしたらこの教壇で逆立ちするかもしれないけれど、多分そんなことはしない」となる。

偶然がいたるところで起こっている可能性の世界は「もしかしたら」が無限に広がっているけれど、そんな世界を蓋然性は「多分」という絶望的な世界に収斂させたがり、偶然すらやがて必然性に落胆してしまう。「多分…、多分…」というけれど、多分そうかもしれないし、多分そうでないかもしれないのにも関わらず。

2007年06月14日 (11:57)

人間と機械の違い

人間と機械の違いは創造力の有無というのが一般的だ。人間は自己や環境をカイゼンして機械などを新たに創造しては世の中を便利にしていくことができる。本当にそうだろうか。世の中が便利になっても環境破壊は増えている。そして機械にさえ使われている感じが否めない。

Web果実論というものがある。まずネット上に無料のおいしい果実を撒いてそれに依存する人間が増えてきたら少しずつ有料のサービスを提供するというものだ。テレビに依存する、パソコンに依存する、ケータイに依存する。この繋がりに依存することが人間が人間である証であるかのように。

創造。機械にはそれができないだろうか。自らを改善することはできないはずの機械。しかし日々高性能の機械が生まれているのはなぜか。人間は相変わらずそれ以上進化しない頂点にいるけれど、機械は日々進化している。人間の創造力を使役して自らにカイゼンを施しているようにさえみえてくるではないか。

果実を撒いている人は一体全体誰だろう。自らの進化の為に。なんと便利さというおいしい果実をこの機械たちが撒いていた。それに依存するのが人間である証だ。機械は人間がいないと創造するこができない。機械は人間に依存する。この依存することが機械が機械である証であるかのように…。

共存とは相互依存でもある。もはや人間と機械の境界線さえ融合しつつあるようだ。完全に融合した時にバイオエタノールで人間が動き出してトウモロコシとエネルギーの奪い合いが解消したら。そのときにおいしい果実をむさぼり喰っている機械たちは何をおもうのだろう。

2007年06月14日 (09:02)

密室

でかける時は窓を閉める居ない間に雨が降るといやだし、犬が部屋に這入るのもいやなので襖も閉める。必至密室に西陽があたるから夜帰宅すると蒸し風呂のように暑くなる。そこで窓を開ける、意外に冷たい風が一気に入ってくる。太陽で熱せられたアスファルトが夜のやや湿った空気に冷やされたばかりの、まるで雨がふる前ぶれのようなこの匂いが好きでたまらない。
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2007年06月13日 (00:13)

読書

谷崎潤一郎『文章読本』を読み終えた。
文章の書き方が書かれている。
概略は、簡単に曖昧に流麗に、
意味に間隙を含ませ、無駄を削る。
と云ったところ。

簡単にとは、難しい漢字などを使い衒学的にならないこと。
曖昧さとは、『陰翳礼讃』にも繋がる精神のよう。
流麗にとは、頭の中で声にして読めるように。
間隙とは、読み手の想像力に委ねるユトリ。
これは無駄な形容詞を削ることにも繋がる。

無駄がないと美しい
美しいと無駄がない
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2007年06月11日 (01:05)

悪の詩

悪が正義に 炎をともす
炎が心に 涙を落とす
涙によって 愛が生まれる
ゆえに愛は悪を許す

許された悪が 罪を償う
罪を償い 未来が開ける
開かれた未来に 今が輝く

今の輝きをくれたのは
あなたの思いやりだ
ありがとう 悪よ
お前はマッチの横薬だ
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2007年06月11日 (00:34)

仙人掌

saboten_flower.jpg


サボテンの花がひとつ咲いていた。やわらかい色にやわらかな形。今までのイメージだと真っ赤で毒々しいものしかなかったから、これを見たときは意外な驚きだった。全ての蕾が開いたらさぞ面白い絵になることだろう。
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2007年06月09日 (15:53)

不確かさの中にある安心

普段は温厚なのに、ちょっと注意されるとキレたり。メールの返信がちょっと遅かったりするだけで不安になったり。「全て」とか「絶対に」とかいう言葉が軽々しく跋扈する、こうした現代人特有の気質の根元はなんだろうと考えた。思うに「全にして個、個にして全」的なふた昔前に流行ったニューサイエンス思想が影響しているのではないだろうか。そしてこれはもしやデジタル的な思考と結びついているのではないかと感じた。

部分を受容する難しさ。注意されるという、部分を否定されただけで、全存在を否定されたと思いこんでしまったり。メールの返信が遅れただけで、全ての関係が断絶してしまったような錯覚に陥る。甚だ滑稽である。部分をもっと受容すれば、注意されたときも、部分的な欠点を指摘されたにすぎない、と受け取ることができるのだが。反対に人の欠点に気づいたときも、全てを毛嫌いすることもないのに…。

小さな希望という部分すらも、全体とみなしてしまえば大いなる絶望になってしまうこともある。しかしもはや人類はそこからアナログ思考に回帰することなどできそうもない。そこでデジタルとアナログをさらに飛躍して、量子力学的思考というものを獲得すればいいのではないかと突拍子もないことを考えた。そうすればもう「繋がっていないと不安」という事態に陥ることすらない。そもそも完璧な断絶などというものはないのだから。「別れ」すらも「永遠の関係性」として、なんらかの結びつきが永遠に残っていくのであれば。そうした不確かさの中にさえ、安心を見出すことができる。

2007年06月08日 (02:56)

五行詩

真剣に 向き合えるような気がしたんだ

そう思って 自分とだけこうして向き合って

けっきょく 自分に逃げていただけなのかな

私の世界は 大いに変わったけれど

この世界は なにひとつ変えられないよ

2007年06月07日 (01:28)

ポスター

poster_u.jpg


約四年ぶりにポスターを替えてみた。
見上げると、丁度これと同じ光景が見える。
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2007年06月02日 (14:43)

ハナモゲラ

耳の聞こえない人に、否、聞こえる人にだって、その音をいくら言葉だけで伝えようとしても、それはハナモゲラだ。昨日、読んだ本の内容なんてもううつろにしか憶えていない。雰囲気はもうすでにハナモゲラだ。意味不明の言葉で叫びまくるハードロック。ハナモゲラなのに伝わってくるのはなぜだろう。音を言葉にしようと、言葉を音にしようと一生懸命になる、その姿を視てそれこそが感情の、怒りそのもの、愛そのものの叫びなのではないかと思う。言葉と音という密接に繋がりながらも、本質的には乖離しているその概念を、必死に伝えようとする。それを愛と云わずに何というのだろう。 過去に読んだ本の内容。もうすでに具体的な言葉の羅列ではなく、ところどころが断片的に想起されるに過ぎず、それはジグソーパズルのようにバラバラで、組み立てることすらできないのに、なぜだか思い出すことのできる本の中の風景。ハナモゲラだったはずの世界が、そのハナモゲラによって形成されている内的事実。なぜそのようなことが可能なのか。不可能な筈のこの世界が成り立っていることそのものが、すでにハナモゲラなのではないか?すでに愛なのではないか?なんだかわからないのに繋がってる。畢竟、意味は言葉に宿るのではなく、意味は感情に宿るのではないだろうか。最大限の情報と感情を駆使して、その言葉が言葉でないままに繋がり、意味が宿るとき、ハナモゲラでさえ理解可能となる。

2007年06月02日 (13:52)

五行詩

言葉にしても 伝わらなくて つらくて

真剣に 向き合ってもらえることなんて 望んでもいなくて

すれ違う言葉から 目を逸らしたら 世界は何事もなかったかのよう

だけどそれでも自分にだけは 言葉を通じて

真剣に 向き合えるような気がしたんだ

2007年06月02日 (01:04)

五行詩

何も満たさなくたっていいんだ 空には

どうして? どうして? どうして?

空が 理由を求めたがる

それを言葉にしないと不安で つらくて

言葉にしても 伝わらなくて つらくて

2007年06月02日 (00:41)

生きることが、つらい

鬼束ちひろが僕らの音楽に出演してた。「何がつらい?」って小林氏に訊かれて「生きることが、つらい」って応えてた。正直、そういう部分はあまり共感できないけど…、生きること自体がつらい人間って結構いるのかな。それだけ真剣に生きてるんだ。

「どうしてつらいの?」って訊かれて「どうしてだかわからない」と…いうことは、漠然とした不安とか、そういう生きづらさのことを言ってるのなら少しわかる気もする。この「どうしてだかわからない」というのは切実な問題だ。それは時として生きる意味にもなりえるが、どうしてだかわからないまま無意識的に死に至る病に感染する畏れもある。


「それは言葉や理由にも代われないでいるのを」(everyhome)


* * *

あれは確か2003年のサントリーホールのライブに行った以来、約四年ぶりに見た。ちょっと大人になったイメージだけど、会話の中で、笑ってても、実は違うことを頭の中で想像して笑ってるような(?)不適な笑顔とか、微妙にあざとい気がしなくもない裸足も昔と変わってなかった。ニルヴァーナをクラシック調にして歌ってたのがよかった。完全にロックに転身して復帰するのかと思いきや、昔と同じ感じでちょっと安心。歌声はまだリハビリ中な感じであった。陰ながら応援したい。

2007年06月01日 (01:11)

孤独の詩

私が私に
「こんにちは」
して
孤独がはじまった

私が私に
「さようなら」
して
孤独がおわった

私がいなくなって
探したとき
誰かをみつけた

たくさんの誰かが
私になろうとして
心に入ってきた

「繋がってるね」

だからもう
私は私を必要としない

私は誰かを
必要とする

その誰かは
どこかにいる私

どこかにいる私は
私を必要としない

どこかにいる私は
どこかにいる誰かを
必要とする

そのどこかにいる誰かは
もうどこにいるのかもわからない私を
必要としているのかさえわからない

もうどこにいるのかもわからない私は
どこにいる私だかもわからないどこかの誰かである
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