--年--月--日 (--:--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2007年04月30日 (11:18)

太陽を盗めなかった男

P4_20070430_104117.jpg

 暑かったから太陽をとりにいった。動いていないところを見計らって、男は用意していた小ビンをやにわに空にかざした。小さなビンの中に入った太陽は「出してくれ!」と叫んでいるようだったから、可哀想になって、否、男には熱すぎたからフタを開けてあげると、慌てて飛びだしていった。そして何事もなかったかのように空に焼きつく太陽。だけどこのビンの中とその空とでは一体全体どう違う。フタを開けたその時に、その空とこのビンの中はもう繋がっていた筈なのに。フタを開けたその時に。暫くしてビンのフタを閉めて部屋に戻った。男は部屋という自我というビンの中に入り、空には世界には太陽が輝いている。フタの閉まった小さなビンは、何かの抜け殻みたいに机上に転がっている。太陽はもう入っていない。
スポンサーサイト

2007年04月25日 (23:51)

過ぎゆく時の中で

 毎日がとても速く過ぎて行く。やりたいことは沢山あるはずなのに、なにもできないで、たまに少しだけ進んで、また今日も今日が終わる。この世界に言葉をたくさん残したい。この世界に好きな風景をたくさん焼きつけて、毎日を輝かして生きた奇跡を描きたい。だけど街を行けば、速歩きに、景色も見ずに、何も伝えられずに、誰も居ないような気さえしてきて、大切なものを忘れていってしまう。こうしてここに立っていることさえ、素晴らしいことなのに!もう枯れてしまうかもしれない!!そう気づいて。私はゆっくりと歩いて、胸を張って、過ぎゆく時をじっと眺めた。何かが違って見えた気がした。そうか、速く過ぎゆくのは時ではなく、私が速く進んでいたに過ぎないのかもしれない。これからも少しずつゆっくりと歩こう。この道を見失わないように。確実に、私が明日、消えてしまったとしても。

2007年04月24日 (13:22)

身近なエコロジー

P4_20070420_135607.jpg
の一環でeneloopを急速充電器とセットで導入してみた。使用用途は主にMTBのLEDライト用である。他にも今年になってから、身近なエコロジーの一環として、缶飲料や500mlのペットボトル飲料を買わないことや、エレベーターをなるべく利用しないことなどをしている。まあこれは自身の健康の為でもあるのだけど。カップ麺やポテトチップスなどは昨年からやめてもうかれこれ1年以上、食べていない。
カテゴリ : リルラ記事のURL コメント (0) トラックバック (0)

2007年04月23日 (00:16)

もしこの部屋が宇宙だったら

 部屋の壁は、光の速度で私から遠ざかる。だから私は部屋の外に出ることができない。部屋はどんどん広くなっている。無限を感じるほどに広い部屋。この部屋の外には何があるのだろう。確かめようにも、壁は光の速度で遠ざかるから、もう触れることすらできない。部屋はどんどん大きくなる。ここが中心と思っていたけれど、もしかしたら最果てなのかも知れない。だとすればあの部屋の壁が中心なのだろう。私はこの床にしかれたカーペットのようなものだ。私から光の速度で遠ざかる壁、天井、床、窓、扉。家はばらばらにならないのだろうか。けれどそんな心配を余所に部屋はただ光の速度で大きくなってゆくばかり。そしてそれを感じることさえできないのは、私そのものさえ光の速度で大きくなっているから。そんな突拍子もないことを思いながら、私は床に腰を下ろし、そっと壁に頭をもたれて、天井を見上げた。夜空には今のいまにも数多の星が瞬き、地球の裏では太陽が燃え、世界には愛と涙が満ちあふれ、あの光が宇宙の最果てまでを照らしていることだろう。そしてそんな眼に見えない全てによって、この宇宙がつくりあげられている。もしこの部屋が宇宙ではなくて、この宇宙が部屋だったなら。私は真っ先にその部屋の窓から外を眺めるだろう。そこにはこれから私がつくる世界の風景が見えるはずだから。

2007年04月20日 (12:25)

部屋の写真 机

机

カテゴリ : リルラ記事のURL コメント (0) トラックバック (0)

2007年04月20日 (00:42)

光と影をくっつけている接着剤を発見

 光と影をくっつけている接着剤はなんだろう?と、ふと思った。なぜそんなありもしない、通常は考えることさえ想定外のことを思ってしまったのかをつまびらかにしたい。

 太陽から降りそそいだ光が、私を照らし、大地に影を落とす。私の影の周りには常に絡みつくように光る大地が、私のシルエットを囲繞する。このように光と影は常に隣り合わせだ。光が光である為に影を必要とし、影が影である為に光を必要としているようにさえ思えてくる。

 ではその光と影を結びつけ、繋いで、密接にくっつけているものはなんなのだろう。レトリックを使って、過去と現在までを結びつけ、繋いで、密接にくっつけているものはなんなのだろうとして、やにわに心象風景を眺めれば…過去を否定できないのは、その過去そのものによって継続している現在までを否定しそうで怖いから。逆に過去を肯定できないのは、その余りにも生々しく彩られた記憶で現在すら色褪せてしまうから。けれど過去を輝かせると同時に、現在を輝かせることなどできそうにない。

 どちらかが少なからず翳りては、一方で輝き、時間のなかで翳りゆく記憶が実存の奥行きを演出しているようだ。過去を影とすれば、現在は光としよう。過去を光とするなら、現在を影としよう。その過去と現在を繋いでいるものが、光と影をくっつけている接着剤だ。

 すなわちそれはアイデンティティである。光が光である為に、影が影である為に、アイデンティティが必要である。そして皮肉にも!アイデンティティというものは、光そのもの、あるいは影そのものにはまったくもって宿ってはいない。付け加えるならば己という存在そのものにさえそれは宿っていない(※ここでいう己とは過去や現在をバラバラの部品と思うことで囚われては未来という模型を作る為の接着剤の存在に気づいていない己のことである)。そこで同じ過去を想うとしよう。それはさっきまで影であったは筈なのに、いつの間にか光になっていることさえあるという内的事実に慄然とする。

 光のなかにさえ影が存在して、影のなかにさえ光が存在しているのだ。これはエンタングルメントした光と影を同時に意識することが困難であるという問題に起因しているようだ。だがしかし光と影が繋がっているという至極当然の事実に、接着剤の存在を措定するという推論の余地を与えては、その繋がりという事実を新たな意味で再獲得しては気づくことができたと云うことは、同様にして過去と現在が繋がっていたことに気づけたこと云うことでもあり、であるならば己と世界が、延いては全てのものはなんであってもそのようにして相関しているのではないかという予感、確信にも繋がる。そしてその全てをくっつけている接着剤は、時間のなかでバラバラになった自我をくっつけているアイデンティティかも知れないし、量子アロンアルファでさえあるのかも知れないのである。

2007年04月18日 (02:12)

 そこにはなにも映らない。太陽がなくなった世界に、風が吹いて雨が降る音がした。傷つけて、壊して、失ってしまったものが、とても大切なものだった。そのことが忘れられなくて、つらくて、だから何度も何度も忘れようとして、忘れようとしながら、大切なそのことをいつまでも想い続けて、思い出すたびに自嘲気味に首をかしげ、舌を鳴らし、頭を振って、また忘れようとして。大切な鏡がかつて映した、反射した全てが、幻想だったような気さえしてきて、もうなにも映さない鏡をそっと眺める。雨が降ってできた水溜まりを避け乍らそぞろ歩く。忘れられないことが真実の証なら。それはこの瞼の裏にあふれる光だ。大切な光は失ったけれど、その大切な記憶の光だけは、失ったわけではない。忘れられないこの影の苦しみは、またその忘れられない光の記憶によって救うことができる。影と光を繋ぐ    。辿り、得ることのできた、決して消えることのない、この形のないもの、それがなんなのかを確かめようと、水面にできた鏡を覗くと、そこには私が映っていた。

2007年04月16日 (11:41)

捨てる

 捨てるという行為は癖になる。先日、部屋の掃除をして、いらない物を大量に捨てた。そのなかには今まで大事に取っておいた物もあるのに。次第に、捨てても捨ててもまだまだ捨てる物はないだろうか、と、何かを捨てたくて仕方なくなる。遉に人生までは捨てたくはならないけど。今では自分の周りに、少しでも無駄ないらないものがあるのと不快に感じるほどだ。文章でもそうだ。なるべくいらない言葉は削ぎ落としたい。解りやすく簡潔にするか、解りづらく異化するかの問題はさておき。それを削ぎ落とす作業は、部屋の掃除をするような、また詩を創るような感覚にも似ている。言葉は、短いほど伝わりやすい。長ければ説明しやすい。だが実は言葉の長短と理解しやすさは解離しているようにも思える。詩を創るように部屋の掃除をして、詩を創るようにして生きていきたい。人生は必要な何かを得るだけでなく、要らない何かを捨てる旅であるのかもしれない。大切なのは、その長短や、また内容ですらない、という今まででは信じられない結論に達した。では大切なことはなにか。それは伝えたいことを、心をこめて、磨いてゆくことだと思う。捨てれば捨てるほどに、私の存在は磨かれ本当の心が見えてくるような、そんな陶酔感に酔いしれる為に、私は、まだ何か捨てる物はないだろうか、と、部屋の中を心の中を見渡す。

2007年04月16日 (10:28)

生きるとしたら

もし100億年 生きるとしたら
世界が終わるまで何をする?

もしあと100年 生きるとしたら
10年後から何をする?

もしあと10年 生きるとしたら
今年から何をする?

もしあと1年 生きるとしたら
今月から何をする?

もしあと1ヶ月 生きるとしたら
今週から何をする?

もしあと1週間 生きるとしたら
今日から何をする?

もし今日まで 生きるとしたら
今から何をする?

もし今 生きてたら 何をする?
カテゴリ : 散文詩記事のURL コメント (0) トラックバック (0)

2007年04月13日 (22:11)

いつだって

まったく同じはずの言葉が
ときに勇気づけてくれて
ときに悲しみを消してくれて
ときに喜びをはこんでくれて
ときに世界を輝かせてくれる

そんな言葉があるのは倖せで
それを分かち合える人を
見つけられたことはもっと倖せだ

いつだってその言葉は
まったく同じに見えるけれど
いつだって違う意味にもなるから
決して嘘にはならなくて
だから信じることができるんだ

君が消えてしまって 私は悲しくて
けれど私までいなくなったら
君が哀しむと想い 気づき
そんな時 思いだしたいつもの言葉
そんな時 思いついたいつもの言葉
これからも その言葉が
いつだって勇気づけて
いつだって悲しみを消して
いつだって喜びをはこんで
いつだって世界を輝かせるよ
カテゴリ : 散文詩記事のURL コメント (0) トラックバック (0)

2007年04月13日 (14:41)

カテゴリー説明

上のカテゴリーほど虚構色、下降するほと現実味が増します。

・未分類
・自我の枝
ここの文章のような気韻の章。私の感覚質。
・散文詩

・短歌
今年から趣味にしようとしている短歌。
・思考・志向回路
諸々の考察など。敢えて難しく考えたこと。
・夢の中へ
夢日記など。
・ワイヤード
ネットと現実の狭間辺り
・リルラ
現実世界の出来事。写真など
・ヘニーデ文
ヘニーデとはその意味の定義は明確ではないが、カオスよりも少しだけ整合性の保たれていることを云うようだ。
カテゴリ : 未分類記事のURL コメント (0) トラックバック (0)

2007年04月13日 (13:00)

修羅の旅

 約二年間。私は修羅の旅に出ていた。そこは忍耐力と偶然が支配的な世界だった。只ひたすらに狩りをする毎日。単純な反復作業の繰り返しが積み重なり、キャラクターのレベルが上がる。そのキャラクターが成長することと私自身が成長することにはどれくらい同一性があったのだろう。もはや自我を投影することはなく、ただ演じる。感情さえも偽ることさえできるようになったような気がした。のっぺりとした平面的な私の感情。それは心地の良いものでもあった。いつでも同じ言葉を、同じ挨拶をするだけで通じ合う。もう別の世界でこのような関係を新たに築くことを考えるだけでも挫けそうなほどの、素晴らしい仲間たち。私はそんな世界で暮らしていた。(未完)

2007年04月13日 (01:34)

ご無沙汰です

 どうもCRAZY HALです。長い間の不在で心地良い侘び寂れてる感ですが…、心機一転、また更新していこうと思います。この度、ブログをDTIからFC2へ移転しました。スタイルシートを自由自在に操って、もっと便利で恰好の良いページにしたいところです。

2007年04月13日 (00:50)

TEST

プリン プリン プリンティン♪
Calendar
03 | 2007/04 | 05
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -
Category
Recent Entry
Monthly Archieve

Appendix


内部リンク

Connect

Twitter
Links
RSS
Search
登録ツールズ+
Visitor

リンクを画像表示
ブロとも申請フォーム
ブロとも一覧
言言言言言言言言言言言言言海海海海海海海海海海海海海波波波波波波波波波波波波波列列列列列列列列列列列列列
リンクフリー・アンリンクフリー。無断転載・無断利用を禁止します。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。