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2013年08月25日 (18:24)

photo

最近は専ら写真を撮っております。

http://www.flickr.com/photos/crazyhal/
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2012年03月03日 (00:40)

妄 想 

まったく関係のない物・言葉・人間同士の間に関係性を見いだすことを妄想と云うならば、世界は妄想によって象られている。

2012年03月01日 (23:33)

航海

人生の色が変わるくらいの、新しい世界が到来した。やり直せる気がした。流されて失敗してしまった航海を、もう一度。今度は方向をあやまらないように。大切に、漕ぎだそうと決意した。

2011年10月02日 (08:34)

電脳コイルAR雑感

ARとはAugmented Reality(拡張or増強現実)の略。電脳コイルの中でのそれは、世界そのものが電子化されて、尚且つその重なりがユビキタスレベルで保持されているシステムのようだ。路地の片隅に生える雑草、その下にある側溝にまで、電子化の波は及んでいるようで、なんだか考えただけでも眩暈がしてくる。なんでもない風景がデータ化されることで、価値観を再獲得できる感覚が巧く表現できないが、電子化されることで、現実は裏付けされ「拡張」されるのではなく寧ろ「増強」されるのだろう。拡張現実の中には、もちろん「自分」もデータ化されていて、それはドッペルゲンガー宛らに、同じ姿をしているが、電子空間座標と現実空間座標の差異が現れない限りは観測することはできない。まるで自分の心と肉体が重なっていて、心そのものが見えないかのように虚ろだ。考えてみればこの脳内に於いて現実はマッピングされていて、肉体は物理的な制約内に止まっているが、心は本来的には物理的制約を超越できる蓋然性を秘めているし、現にそうである場合もある。しかし物理的な制約を、無意識的に心にまで波及させていることに気づかされることも多々ある筈だ。現実の制約を、仮想の世界にまで波及させているように。それでもまったくの自由という構造がありえないのは、肉体が滅びれば心も(おそらく)なくなり、現実がなくなれば虚構も(おそらく)なくなるという構造に内包されている。この(おそらく)の中には、 心が滅びても肉体が在り続け、虚構がなくなっても現実が在り続けるのに、その逆がないのはおかしいという不条理への懐疑に近い感情も、勿論、含まれている。このように虚構によって現実が拡張されるように、心によって私の世界は拡張され続けている。

2009年06月28日 (23:07)

未来

ときどきぼくは未来にいる。
未来から現在を懐かしんでいる。
色々な悩みや不安も、
未来から視れば、些細なことだ。
とるに足らないことも、
未来から視れば、大切なことだ。

そしてまたぼくは現在に戻る。

2009年06月18日 (21:51)

箴言

情熱を冷ますことによる創作、
無気力を熱することによる創作、
それが交互に訪れる永久機関を人間とするなら
生きることでしか創作はできない

2009年05月16日 (20:34)

無題

ときどき全てを
投げ捨てて
消し去って
壊してしまいたくなる
自分で積み上げてきたものさえ
意味のないもののような
いやむしろ大切な物だからこそ
それに囚われてしまいそうで
そんなものはいらないと
そうやって今まで生きてきた
だから何も残らなかった
全ての人々は去って行く
さようならという言葉さえ残さずに
当たり前のように隣に座りながら
どこか別の世界にいる

2009年05月06日 (23:22)

不可視

なんでもお金お金の世界になってるけど、本当に大切なのは人と人との繋がり。人と人だけじゃないで、色んなものは繋がっていて、お金はそのひとつに過ぎないってことを忘れちゃいけないよな。

漠然とした目に見えないイメージによって、色々なものは繋がっている。心とか、気持ちとか、愛とか。そいういう目に見えないものが、目に見えるものを繋いでる。

目に見えるものだけを見てたんじゃ、何も見えないってことだ。

だからこそ目に見えないものを描く意味があるんだ。人のつくりだした街も、電柱も、横断歩道も、家々も、きっと目に見えない何かを描いている。



2008年11月25日 (00:52)

私の人生

零代というのは、受容の時代だった。なにも望まないのに、望む以上のものがやってきた。私は愛された。ひとつの小さな運命に気づかなかった。ひとつの小さな暗闇が、世界を支配した。私は途方に暮れていた。この御しがたい己の無邪気さに。

十代というのは、無知の時代だった。何も知らずに全てを嗤っていた。それでいて絶望していた。絶望しながらスキップしては、若さに怯え、ただ漠然とした不安を抱いていた。感受性は豊かで、些細なことで運命を背負ったと思い、苦悩し、悩み、自問自答を繰り返し、答えのない問いを立て続けていた。

二十代というのは、すべてを冷めた論理的な整合性で保たないと不安な年齢だった。それでいて感情的に、否定的に排他的になり、幻滅を繰り返しては、愛する者さえも限定した。考え方は抽象的な極みに陥り、何事も一般論でしか語れなくなる。ひとつが全てになり、その全てを自分自身によってのみつくれるものと信じては、それをまた破壊しようとさえしていた。なにひとつ作り上げることはできないと、架空世界に逃避した。冒険に繰り出しては、荒波に飲み込まれた。

三十代というのは肯定の時代だった。生命は踊り、宇宙は膨張して、論理を超えた部分で理会することができるようになってきた。今まではわかったつもりになっていただけだった。一方、情に流される危険性も孕むようになってきた。つまりなまじ人の想いや考えがわかってしまうだけに、それを制しようと、説教くさくなることもあった。けれど今まで築いてきた土台は無駄にはならず、それによって新たな大地に踏み込む決意を携えることができた。

四十代は、諦念の時代だった。何もかもが中途半端でバカらしく思えた。今までやってきたことが徒労に終わる気がしたが、それさえももうどうでもよかった。老いと共に無気力感に襲われ、世界はもういつ終わってもいい気がした。それでも重くのしかかる責任感によってのみ、歩くしかなかった。これがかつて思い描いた夢の形なのかも知れない。なぜかといえば生きるしか選択肢はなかったからだ。絶望の果てに、見える希望に縋り付くように、努力は続けた。

五十代は、実りの時代だった。今までの努力が、たてつづけに実った。意図もしないのに、至るところで花を咲かせ、百花繚乱の様相を呈し始めた。もう自分の幸福が、誰かを不幸にすることもなかった。周りの皆は笑顔だった。それは信じていた証明であった。世界は私の自我より、遙かにひろかった。まるで大樹のように、私はそのひとつの枝に実っている、実に過ぎないのだ。

六十代は、自分が何もしなくても、なんでも思い通りになった。物事が右から入って左に出て行くように、世界は忙しく見えた。でもそれでいい。私はただ耳を澄ましていればよかった。心地良い音楽に、心地良い言葉に、心地良い愛に。ただ求められるがままに、手を引かれて、ゆっくりと歩いた。

七十代は、もうなにもすることがなくなった。全てはわかってしまい。悟ってしまった。若い頃は、悟れないと知ることが悟りだなどと知った風なことを考えていたが、こうして普通に生きているだけで、悟れた。全ては川の流れのように、自然だった。それでよかった。無理して堤防を築くこともなかった。無理して壁を壊すこともなかった。やがて私は海に出るだろう。

八十代は、大航海の時代だった。貿易は活発になり、時折、黄金の価値は高騰して、思っても見ない物の価値が高騰した。それは時として、私のかつて捨てた物であったりした。私は舟に乗り、敵艦隊を撃破した。沈没する船を見るのが愉快だった。甲冑を取りそろえて装備して、部下の数人を新たなる世界の開発にあたらせた。動き始めたのだ。新たなる認知への道へ。

九十代は、サイボーグの時代だった。生命は永遠に近い長さを獲得した。磁力によって動力が供給され、血は透明になった。それでも私は死を選んだのだ。

百代は、死の時代だった。私は死んでいた。もう無であるという感覚すら手に入れることができた。私はひとつの稲妻だった。私はひとつの津波だった。私はひとつの入道雲だった。わたしはひとつの宇宙になった。

2008年11月16日 (01:24)

二十億光年の孤独に出会う

今日、詩人であるところの谷川俊太郎に会いました。素晴らしい妹の粋な計らいで、三人は倖せになりました。僕は彼のその講演のある部屋に入るためにならんでいました。突然、彼は裏手から現れて僕の方に迫ってきて、かわすように列を横切りました。意表をつかれた。

まるで何か得体の知れない宇宙が迫り、横切ったような感覚でした。僕は思わず吸い込まれそうになりました。彼の詩をよく読み、感じ、知っていたはずの存在なのに、生身の身体はまるでブラックホールのようでした。そんな衝撃的な存在がわずか十センチにまで迫ったのです。これはひとつの奇跡のようでしたが、それを奇跡と認識するよりは、嗚呼、彼は人間なのだという奇妙な感慨に耽っていたのです。僕は街の雑踏の中ですれ違う人をサッと避けるような自然さを演じて、彼に道をあけました。

某ビル内、つまりは長崎屋A館5階といううらがなしくさびれた場所は、部屋に這いると椅子は案の定少なく、五、六十あるだけで、僕はその一番前に座れました。彼と僕を隔てる人はいませんでした。この本来、緊張すべき二十億光年にも似た距離に、僕は期待と共に安堵感すら感じていたのです。そして放たれた言葉は脳内に焼きつくようでした。

彼という人間がひとつの生命に見えてきて、宇宙と繋がりました。人間は社会と結びつき、生命は宇宙と結びつきます。言葉は人間の言葉であり、沈黙は宇宙の言葉です。詩は決して言葉を超えず、言葉を超えるのは人間です。詩は物を語ることなく、宇宙と結びつきます。詩は人間であり、生命でもあり、その輪切りにされたようすは僕にイカリングを連想させました。イカリングは今です。今がとめどなくつながるようすはタクワンの切り方です。

そこに刹那の愛がなくては、生きる意味がなくては、けれどぼくにはそんなに強い想いもなく、ただだらしないたくわんのように生きている。ただ零れそうなのにそそがれ続ける紙コップの水を心配して生きている。ですが彼は意外にも、詩は意味もなく、何も伝えることはないと言い切りました。ただそこに言葉を存在させたかっただけなのだと言いました。僕は救われたことに気がつきました。伝えることはないと伝えられたことに解放されたのです。

詩に意味はないけれど、詩を書く意味はあるのです。詩は自らを解放するために書かれます。そして彼はそれを多くの受け手に送り届けることで、また受け手をも解放します。その時、人間は生命となり宇宙と結びつくのです。人間は感じて、考えて、言葉を足し算します。生命はただそこにあり沈黙することで無限を語ります。そこにはこの文章のような無駄は一切ない。詩は引き算して沈黙に近づきます。詩は足し算して人間にも近づきます。論理と感性が出会うとき、言葉に詩が宿ります。

空をこえて、星の彼方にある、それは愛でしょう。ごめんなさいという言葉はビタミン剤にはならない。言葉は感情にはなれません。言葉は喜ばないし、言葉は哀しまないし、言葉には希望も絶望もなく、ただそこにあるだけだから。言葉は感情にはならない、けれど感情は言葉になります。

僕の手紙に、彼の印をもらいました。感謝の気持ちで嬉しくなりました。僕はありがとうという言葉を発する前に気がついたからです。ありがとうは言葉ではないことに。僕は魂のそこから溢れてくるこの気持ちを、ありがとうという言葉に託して、彼に向かって投げかけました。谺するのは言葉ではなく心でした。その時はじめてありがとうそのものに言葉を超えて僕は出会いました。その想いはこれからもずっと月のようにただそこにあり続けるでしょう。




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